8 8月

「人間の勘違い」

そもそも人は、『人間』が理解できるのか…。
私には、とても大切なテーマである。
人間であるがゆえに、理解不可能な存在がある。もし、理解可能な存在といえば、私が傲慢な人間であると証明される世界が『今』与えられているところであろう。
表裏一体の価値観に躍らされることなく、やはり、『私は私』の視点から人間のありようを…人間のありのままの姿を…うけとめ赦すことが、何度も何度も試みとして与えられる。「これまた人生なり」である。
それは、同時に『私が私』として、ありのままの姿がうけとめられ、赦されて生きる道があることを悟る試みとなる。言葉を重ねるならば、自己責任なき『私は私』、『あなたはあなた』の勘違いを捨て去り、互いに、我が心の道が開かれるならば、こんな幸いなる人生はないではないか。
心しずかに…、心おだやかに…、心やすらかに、その日が訪れることを祈る。